桜の季節が近付いてくるといつも思いだす文章があります。
小学生の頃読んだ
「木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿」
「花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液の
ピンクであった。桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらは
いわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。」
詩人:大岡信さんの「言葉の力」のなかの何節かです。
今回改めて調べてみて、中学校の教科書に載っていることを知りました。
皆さんの中にも、「あ、知ってる」という方もいらっしゃるかも知れませんね。
小学校の頃の私は、単に桜の濃い茶色に覆われた幹の中のピンクに
ただただ驚いて、桜は全身で花を咲かせようとしているんだ。だからこそ
私たちはそのけなげさや懸命さにひかれ、桜の花を特別なものとして、
「花見」をするのかな?などとしか思っていませんでした。
今回、きちんとこの作品を読むことになり、今現在の私だからこそ
感じる、受け取るものがあります。
「言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものでは
なくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまう」
<言葉の力>日常でも感じているはずなのに、大切にしているはずなのに
意識していない、ともすればおろそかにしていることもあることに気づき
ました。
私が話す言葉が、私を表現している・・・
小学校の頃に読んでも当時の私には理解できなかった内容です。
軽い気持ちで発した言葉でも、相手にとっては大きな影響を与えることが
あります。
先日、「初めてあった会社の人から発せられた言葉にとても気持ちが動かさ
れた」と相談してきた人がいました。
「心療内科に行ってきてください。」
と言われたそうです。
自分がメンタル的に不調かも?という自覚が一切ない中で、急に呼び出されて
あまり接したことのない人に言われたら、どんなにか不安になるでしょうか。
「自分はそのような病気なのか?」
「自分は周りの人にそんな風に見られていたのか?」
言葉の持つ力を理解して欲しいです。
相手が言われてどんな風に思うか、想像してみてください。
悪意のないナイフで、不用意に人を傷つけることがないように
(最近TVドラマでこんなセリフがありました。)
意識していくことの大切さを今一度考えて欲しいです。
そういう私もきっと、不用意に傷つけていた、いるかも知れません。
折角出会った縁ある人たちを不用意に傷つけることが無いようにしていきたいです。
また最近、複数の人達にお話をする仕事をしているので、もっと自分が使う
言葉について、再考し大切にしていきたいと思います。